『T君』

一昨日、サークル仲間の雪像作りに行ってきました。
昨年は全然お手伝いできなかったのですが、今年も水曜の休みくらいしか時間がとれません。写真を撮る位しか能がないので、作業風景の写真を撮ってきましたが、その写真は後ほど。
(ちなみに、昨年の雪像はこちら
雪像は明日完成予定ですが、完成後の写真撮影(と写真の加工?)頑張らなければ(^^;;

さて、その雪像作りの帰り道、妻から携帯に連絡がありました。
「T君が亡くなったって…」

T君とは高校・大学の同期で、高校は1・3年が同じクラスだった親友。
同じ高校から同じ大学に進んだのは(男では)3人だけでした。
もう一人は、ここの常連さんで私のギターの師匠のAP君。(今日だけ君と呼ばせてもらうよ)
AP君はT君と2年間下宿が同じだった仲です。

T君は利尻島出身で高校から一人暮らし。高校時代からよく彼の下宿に遊びに行ったものです。
とても優しく人が良いので損な役回りをする事が多かったけど、嫌な顔一つ見せず、いつも穏やかに明るく人と接する、器の大きな男でした。

卒業後は教員として道東方面に赴任したので、頻繁には会えませんでしたが、私が転勤で北見に行った時には引っ越しの手伝いをしてくれたり、妻とも何度か会ってもらっていました。
私の新婚当時に泊まりで遊びににきて「俺も結婚したくなっちゃったな」と言っていたのが印象的でした。
そんな事言ってた彼は、結局最期まで独身でしたので、喪主はお父さんでした。
お父さんが喪主というのは、本当に可哀想な事です。
一番親不孝なのは、親を喪主にする事だと思います。

死亡の連絡をもらった時には夜も更けていて、既に通夜も終わった後だったのですが、AP君に連絡し一緒に車で葬儀が行われる生田原まで行く事にしました。
葬儀後彼の位牌は28年振りに島へと帰る事になります。
今回逃すといつ線香をあげられるか…そう思うと居ても立ってもいられませんでした。
おそらくAP君も同じ想いだったと思います。

大学入試、共通一次試験の時は正月明け早々の日程だったため、正月を我が家で過ごしたり、二次試験の際は一緒に私の親戚の家に泊まったりしていましたので、私の両親もよく知っていますし、逆に旅行で私が利尻に行った時には彼の実家に泊まらせて頂いたので、私も彼のご両親とは面識がありました。
葬儀で久しぶりにお会いしたご両親はちゃんと私を覚えていてくれました。お二人とも憔悴しきっていましたが、お父さんに「今まで本当にお世話になったのに、こんな事になって申し訳ない」と逆に謝られてしまい困惑しました。
中学を卒業させた後28年間、ほとんど側にいる事もなく、顔を合わせる事も数年に一度と言う生活だったはず。
本人はもちろんですが、ご両親の無念を思うと心が痛みます。

死因は「肝硬変」
特別酒が好きだった訳ではなかったと思いますが、30代で教頭となっていましたので、相当のストレスがあったのは想像に難くないですし、合わせて長い一人暮らしが身体に負担をかけていたのでしょうか。
まだまだこれからたくさん楽しい事があったはずなのに、人生半ばで逝ってしまうのは、どれだけ無念だったか…

近年、何度か連絡を試みたものの声を聞く事もできず、今となっては大きな私の後悔となって心に残ってしまいました。
連絡を受けてから、いろんな事を想い出し泣きました。
今これを書いていても涙が溢れてきそうです。
でもいつまで悲しんでいても仕方ありません。
彼の分まで…なんて彼も望んではいないと思います。
せめて自分に与えられた分だけでも、一所懸命生きて行かなければ。

AP君とは、T君の想い出を胸に仲良くやっていこうと話しています。
同じ年の友人が亡くなるのはショックだけれど、想い出が風化する前に、彼から与えられた命題として、しっかり自分の人生を見直さなければいけないと思います。

『今まで本当にありがとう。お疲れさま、ゆっくり休んでくれ』


*折角の楽しい話題をお知らせするつもりが、こんな話題になってしまい申し訳ないです<All
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by aki3man | 2006-02-03 14:11 | 日常
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