カテゴリ:懐かしの…( 10 )

札幌の東急ハンズの裏の通り、私が高校の頃は「オヨヨ通り」と呼ばれていて、個性的な喫茶店がたくさんあった。
喫茶店以外にも何やら怪しげな(って変な店じゃなかった…とおもふ)店も多く、ブラブラ歩くだけでも面白かった。
もっとも当時の私は中がよく見えないたくさんの店に気軽に入るには若すぎたので、数件の喫茶店に入るのがやっと。
2坪くらいしか無くカウンターに4人も座れば一杯の店とか、薄暗くちょっとサイケな店とか。

オヨヨ通り以外にも、中心部には個性的な喫茶店が多く(Cafeじゃなくね)私服の高校に通っていた私は、授業が終ると地下鉄の駅にバッグを投げ込み、三越の地下で洋モクを買って(当時、三越地下にしかなかったタバコがたくさんあったのであ〜る)喫茶店巡り。これが高校時代の一番楽しかった想い出。
時には男友達5〜8人でつるんで行く事も(今と変わらず女の子はいなかったのだ)

まずは「Disk Up」と言う、当時はまだ珍しかった地下にある輸入レコード屋に行って、お気に入りのアーティストのレコード(!)のジャケットを眺め(買えないのである)見つけられない時は、向いの五番街ビルに出来たばかりの「TOWER RECORDS」に行って(「TOWER RECORDS」の方がしっかり仕分けしてあって見つけやすいが、Disk Upより高かったのだ)こずかい溜まったら今度はこれ買おうっと…などと思いにふけ、その後おもむろに喫茶店を目指す日々。
いや、「TOWER RECORDS」は大学時代だったか…いつオープンしたのか知っている方いらっしゃいませんか。

f0021369_1826540.jpgそうそう、当時喫茶店巡りのバイブルは「札幌青春街図」と言うガイドブック。
今で言うporoco別冊みたいなものか。
いや、喫茶店以外にもいろんな情報が詰まっていたっけ。

当時の喫茶店、もちろん普通にお茶しに行く喫茶店もたくさんあったのだけれど、私が通ったのは「ジャズ喫茶」や「ロック喫茶」と呼ばれていたところ。
「ジャズ喫茶」とは何ぞや??と言う方も多いかも知れないが、当時は「ジャズ喫茶」や「ロック喫茶」「名曲喫茶」、はたまた「ノーパン喫茶」や「同伴喫茶」…失礼、これは関係ないのである…音楽を聴く為の喫茶店が珍しくなかった。
多くの店は素晴らしいオーディオシステムを組んであって、スピーカーやアンプを見るだけで目の保養になった程。
もっとも、高校生の私にその音の素晴らしさ分かるはずも無く、ましてやジャズの演奏の善し悪しなど全〜〜〜く分かりゃしなかったのだけれど。
それでも大人の仲間入りしたくて仕方ない私は「札幌青春街図」片手にたくさんの店をまわったものだ。
自分よりも5〜10歳は上かと思われる“大人”な男達に混じって、同じ空気を吸い同じ音楽を聴いているだけで、自分も何だか大人になった気がしていた。

実は珈琲自体は小学生の頃からドリップの珈琲を自宅で毎日のように飲んでいたので(父親がハイカラなおっさんで、まだインスタントコーヒーも珍しい時代から落として飲んでいたのであーる)味も多少は分かっていたし、何より大好きな飲み物。
これは今に至っていて、飲まない日は無いくらい…と言うか、できれば自分で店を開きたいくらい。
おかげで、喫茶店巡りは「ジャズ喫茶」や「ロック喫茶」が無くなってからも楽しい娯楽のようなものだった。
引っ越す度に、近くに素敵な喫茶店が無いか探したりして。

当時通った喫茶店、遠い記憶を頼りに思い出してみると…
「ぽっと」「act」「あじと」「Beat」「ぜんまい仕掛け」「B♭」「ジャマイカ」「CATCH-BOX」…あたりがオヨヨ通りだっか。
「SALA」「セブン」「ルパン」「どっこ」「RockHouse」「Bossa」「バナナボート」なんかもよく通ったけど、場所を覚えている店が少ない。
「祐天堂」「びーどろ」は行きたかったけど、高校生には敷居が高かった。
今でも「ジャマイカ」や「Bossa」は場所を変えたりしながら残っているけど、当時と同じ空気が流れているんだろうか。
「SALA」はパンケーキが美味しかったんだけど、頼むのがちょっと恥ずかしくて、女の子を誘って代わりに頼んでもらったり…って、そんな女の子を探すだけで大変だったのだが(今では堂々と一人でチョコパフェも頼めたりする50歳なのである)

余談になるが、その「SALA」に似た店が、札幌から遠く離れたオホーツクの街、常呂にある。その名は「しゃべりたい」
所ジョージさんの番組「笑ってこらえて」にも出た名物マスターが美味しい珈琲と料理を出してくれた、とても素敵な喫茶店だったが、残念な事に数年前にマスターが亡くなったそう。
亡くなる2年程前に、25年振りくらいで店に行ってマスターとママにお会いし、懐かしいお話をさせてもらえたのが良い想い出となった。
最初にお邪魔した際(オープン間もない頃)ママに「SALAに似てる」と言ったら「学生時代によく通って、お気に入りの店だった」とお話しされていたのを思い出す。

話を戻そう。
「ジャズ喫茶」の多くは、友人とおしゃべりをしに行くような場所ではなく、黙って真剣に音楽に耳を傾ける場所だった。
喋っていると常連さんに叱られそう(実際に叱られた)な店が多く、一人でいくのがデフォルト。
なので、友人と行く際は必然的に「ロック喫茶」に。
もっとも、こっちはこっちで音がうるさくて会話にならなかったりもしたのだけれど。

実は「ジャズ喫茶」には、足を遠ざけるもう一つ大きな要因が。
珈琲が不味いのである、もちろん全てとは言わないが。
濃いのと苦いのは違うのに、煮詰まったようなただ苦い珈琲を出す店が多かった。
まぁ「ロック喫茶」も同じようなものだったけどね。

いつの間にやら街の喫茶店はカフェに取って代わり、今では当時の店をほとんど見る事が出来ない。
音楽は別として、残っているのは「可否茶館」「北地蔵」等、珈琲が美味しい店なのは、偶然ではないのだろう。

今時のCafeにはほとんど行く事がないが、スタバやドトール、タリーズと言った店は時々使う。
あれはあれで悪くはないけれど、昔通った喫茶店とは本質的に違う店だ。
スタバやタリーズは、それなりに美味しいコーヒーと半径50cm程の最低限のプライベート空間、それとWi-Fi環境を提供してくれるけれど、喫茶店は美味しい珈琲と店の雰囲気、空気、音楽、それらを提供してくれる。
Wi-Fiはないし、可愛いおねーさんの笑顔も無い(所が多いのである)けれど、極上の時間を過ごす事が出来る。
喫茶店へは時間を買いに行のだ。潰しに行く場所ではない。

今は喫茶店で珈琲を楽しむ時間がとても贅沢なものになってしまったけれど、もう少し仕事を頑張って、もう少し時間に余裕ができたら、また学生時代のように喫茶店巡りをしたいものだ。
それまで、街の喫茶店オーナーさん、頑張って営業して下さい。



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昨日、TVで「ダイハード4」を観ました。
当然吹き替えでしたが、ブルース・ウィルスの声に違和感たっぷり。
やっぱり彼の吹き替えは野沢那智じゃなきゃ…と思っていたら、今日ネットのニュースで氏が亡くなったのを知りました。
私が「声優」と言う職業を認識した初めての人で、声をちょっと聞いただけで"この人"と分かる数少ない声優さんでした。

野沢氏が吹き替えた俳優、すぐに思い起こすのはやはりアラン・ドロン。
初めてご本人の写真を見て、やはり"二枚目"の吹き替えをする人は二枚目なんだな…と思った覚えがあります。
ブルース・ウィルスやクリント・イーストウッドもすっかりハマり声でしたが、ご本人は両名とは対照的なヤサ男です。
デビッド・マッカラムはアラン・ドロン同様、イメージピッタリかも。
他にもアル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、ロバート・レッドフォード、そうそうスターウォーズのC-3POも。まさに枚挙にいとまがないです。

しかし私にとって野沢氏は、声優としてよりも、TBSの深夜放送「パックインミュージック」で、白石冬美さんと一緒に担当されていた『金パ』(『ナチチャコパック』)のパーソナリティとしての想い出が深い人です。
当時中学生だった私が、受験勉強のお供に毎晩のように聴いていた深夜放送。
中でも一番のお気に入りが、金曜深夜の『山本コータローパック』と木曜深夜の『ナチチャコパック』。
「お題拝借」のコーナーは、『コータローパック』の「恥の上塗りコーナー」と並び、夜中に笑い声を我慢するのに大変だった大好きなコーナーでした。
当時の深夜放送は、今では考えられない程、若者達への影響力がありましたし、実際その放送を題材にした書籍の発行も度々ありました。
中でも『ナチチャコパック』は「もう一つ別の広場」と言う書籍が10数巻出版され、それなりの部数が発行されていたと記憶しています。
私も2冊持っていました…「ザッツ・金パテイメント」…どこにいっちゃったんだろ…
(ちなみに、コータローパックの書籍「きらめく青春のかけらたち」はまだ手元にあります)
ラジオと言うとてもパブリックなメディアを通じて、全国の若者達が仲間意識を共有できた、今思えばとても不思議な時代です。
今の若者達(に限りませんが)はネットを通じて、様々なコミュニティを作っていますが、その源流は確かにこの時代の深夜放送であるように思います。
当時、その源流の真ん中に身を置き、野沢氏をはじめとする素晴らしいパーソナリティ(と言う言葉も彼らがオリジナルでしょうね)に導いてもらえた事は、今でも素敵な想い出です。

私の中の「青春の想い出」が、また一つ形を失いました。
72歳…もうあの声を聴けないかと思うと、悲しくて仕方ありません。
ご冥福をお祈り致します。

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明日からいよいよ「バンクーバーオリンピック」が開幕しますね。
スポーツ大好き、特にオリンピックフェチの私にはとても楽しみな17日間です。

今回のオリンピックの開催地であるバンクーバーは、私にとって非常に想い出深い街でもあります。
生まれて初めての海外旅行、それがこのカナダ、バンクーバーでした。
当時(今で言う)フリーターの身分でありながら、北海道の文化交流使節団の一員としてカナダの地に立ったのは、昭和64年(1989年)の1月6日。
そう、昭和天皇崩御の前日の事でした。
1月6日は誕生日なのですが、6日の夕方日本を発って6日の午前にカナダに到着…と言う訳で、今までで一番長い誕生日を過ごした(おかげで一年で二年分老けた)日でもあります。

到着した翌日の朝食時だったか、天皇陛下が亡くなったと言う一報が飛び込んできました。
天皇の体調がすぐれない旨の報道はされていましたので、それほど驚きはしませんでしたが。
ただそれから数日間、日本ではCMが流れなかったり、新しい年号が決まったりと、いろいろと変化にとんだ数日間だったらしいのですが、私はその数日間をカナダで過ごしていた為、全く状況を知りません。
2週間の旅行を終えて帰国した時には、既に国民生活は平静を取り戻していて、あまり年号の変化の実感を持てなかった記憶があります。

さてそのバンクーバー、初めての海外と言う事も手伝って、非常に綺麗で好印象の街です。
フェリーでブリティッシュ・コロンビア州の州都でのある隣のヴィクトリアと言う街に渡ると、そこはイギリスよりイギリスらしいと言われるとても雰囲気のある美しい町並みが観れましたし、緯度が札幌よりも随分高いのに温暖な海流のおかげで過ごしやすい気候でした。
街中にあった蒸気時計、今でもあるのでしょうか。

その時の写真が見つかりましたので、載せてみます。
手前真ん中やや左、蒸気時計↓
f0021369_1456288.jpg

クイーンエリザベスパークと言う公園から見たバンクーバー市外↓
オリンピック開会式会場のドームが見えます。
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ブリティッシュ・コロンビア、クイーンエリザベス…と言う名前で分かる通り、カナダの公式の国王はイギリス女王。特にカナダの西側はその印象が深く、公用語も英語です。
ちなみにカナダの東半分(と言うより2/3近く)の公用語はフランス語。
ですので、公的な建物の表示は英仏両方の言葉で書かれていました。
ライオンズゲートブリッジ↓
f0021369_1524145.jpg

バンクーバーで数日過ごした後向かったのは、お隣のアルバータ州。
州都のエドモントンには、当時世界最大のショッピングモールがあり、ショッピングセンター内にスケーリンクがあったりして、何もかもスケールが大きく驚きました。
そのエドモントンで、今でも忘れられないとても貴重な経験(?)をする事ができました。
オーロラを見たのです。
エドモントンは内陸地でめっちゃ寒いですが、さほど緯度が高くないので普段は滅多に見る事ができないとの事。現地の人にも「あんたはラッキーだ。数年に一度だよ、オーロラ見れるのは」と言われた程でした。
よくテレビで見る様な、あんなに綺麗で大きなものではなかったですが、ふわぁ〜っと現れてゆらゆらうごめく様は、何ものにも例え用が無く、鳥肌が立ったとともにちょっと恐くなったのを覚えています。

昔話になっちゃいました(^^;;
そんなこんなで懐かしいカナダ、バンクーバーです。
さて、明日からテレビ画面を通して見覚えのある町並みが見れるでしょうか。
そう言う楽しみも込めて、祝開幕・バンクーバーオリンピック!
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今日(と明日)は「大学入試センター試験」が行われたようですね。
今朝はとても寒かったし吹雪いたところも多かったようですが、受験生は皆無事に受験できたのでしょうか。

今を遡る事30年前、私も受験した事を思い出します。
当時はセンター試験と言う名称ではなく、「共通一次試験」と呼ばれていました。
まだ私学は参加できず、それまで国立大学は一期校・二期校と言う区分があったのですが、一期校が第一志望、二期校は滑り止めと言う風潮を是正する為に行われました。
私が受験したのは1980年、共通一次実施二年目の事でした。
受験する側はもちろん、受験指導する高校も手探り状態だったように思います。

試験日…確か正月明け早々だったはず…北大へ行き受験。
試験そのものは良く覚えていないのですが、印象深かった出来事があります。
休み時間、友人がいる別の教室に行き「おーい、佐藤!」と呼んだら、50~60名いた教室のほぼ全員が振り返ってこちらを見てビックリ。
そう、その教室のほとんどが佐藤君だったのです(^^)
その友人が言うには「自分の前の席の受験票みたら、自分と同姓同名。でも漢字が違ってホッとしたんだけど、後ろの席の受験票見たら…漢字まで同じだった…」と。
試験会場はたくさんの教室に分かれていましたが、受験番号は受付順ではなく、名前の五十音順だったんですね。

試験は5教科7科目。今考えると、よくあんなに勉強したもんです。
英語・国語・数学は各200点(国語は現国が120点、古文と漢文が各40点)
理科・社会は2科目選んで各100点、トータル1000点満点。
ちなみに理科は「物理」と「地学」、社会は「世界史」と「政経」を選びました。
その年の平均点、理科は「物理」が、社会では「世界史」が一番低かったので、貧乏くじを引いちゃったみたいですね。
一応800点が目標でしたが、もちろん私は及ばず…(^^;;
数日後、特別仲が良くはなかった(成績優秀な)中学時代の友人が「お前、850点位は取れたんだろう?」と聞いてきたので(んな事聞くか、普通)「まさか!」と答えたら「そうか、俺は900点がやっとだった」だって。。。
はい、彼はしっかり東大に行きました……
それでもまぁ、第一志望の大学に現役合格できましたので、それ程悪い想い出ではないです。
センター試験…と言うか、大学受験制度の是非にはいろいろな意見があるでしょうが、一生のうちにあれだけ集中して勉強をする機会はそうそうないですし、それを乗り越えるとそれなりに自信のようなものが備わりますので、決して悪いもんじゃない気がしています。
もっとも、私はそんな思いをして入学した大学での勉強とは全く関係仕事に就いちゃいましたが(^^)

受験生の皆さん、それと受験生のご家族の方々、健康に気を付けてもう少しだけ頑張って下さいね。
きっと数年後には良い想い出になるはずですので。
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突然ですが、某所で懐かしいアニメの話をしていて思い出したのがこれ、『狼少年ケン』
実はほとんどストーリーは覚えていなかったりするのですが(^^;;(確か)小林亜星作詞のテーマ曲が素敵。
♪ブバンババンボン ブンボバンバババ ブバンババンボン ブンバボン♪
これ↑正確に歌えますか?(^^)

でも当時のアニメと言ったら、やっぱりSFが熱かったです。
『宇宙少年ソラン』『スーパージェッター』『エイトマン』…etc
(手塚アニメは別にしてね)
ソランは「エンゼル号」、ジェッターは「流星号」エイトマンは…サイボーグだから乗り物はなくてもOKか。
ソランソランソラ〜ン♪遥かな宇宙から〜♪
ジェッタージェッタースーパージェッター、我らのスーパージェッタ〜♪
走れ〜エイトマーン、弾丸よりも速く〜♪

で、懐かしくなってちょっと調べてみたら、この頃のSFアニメの脚本って蒼々たるメンバーなんですね。
加納一朗、筒井康隆、山村正夫、眉村卓、辻真先、半村良、豊田有恒…
小中学校時代に読んだ、所謂ジュブナイルのほとんどは彼らの作品。
これら作家の方々が、どのような経緯でアニメの脚本を書いていたのかは知る由もないですが、作品としてのレベルは決して低くなかった(と思える)のは、アニメーションの良さ以前に、脚本の良さがあったのでしょうね。

他にも『宇宙エース』があるし…なんて書き出すと止まらなくなりそうなので、今日はこの辺で。
だって、これから急いで「EZO音楽祭」に行かなきゃならないんだも〜ん(^^)v
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今日、T市のスタジオの20代の女の子と洋服の話をしていて、「学生の頃はアイビーだった」と言ったら…「それって何ですか??」と言われちゃいました(^^;;

最近はもう名前さえ忘れられたファッションですが、私が学生時代はまだ結構着ている人が多かったです。
ジャケットは三つボタン段返り。
パンツはノータック、裾はダブル。シルエットはパイプドステムで尾錠付き。
シャツはオックス生地のボタンダウン。
柄はブラックウォッチやマドラスチェック。
靴はペニーローファーやウィングチップ。
ネクタイはレジメン。レータードカーディガンやスタジャンも大切なアイテムでした。

国産ブランドの雄は『VAN』
創設者の石津謙介氏は、かっこ良過ぎる憧れの的でした。
海外ブランドの雄は『BrooksBrothers』
札幌に直営店ができたのも学生時代でした。
確かジャケットが7万程して、とてもとても手が出るような店ではなかったです。
で、ちょっとだけ安い『J.PRESS』のジャケットは、つい数年前まで持ってました(着なくなって…ぢゃなく着なくなって捨てちゃいましたが(^^;;)

『メンズクラブ』は一番の参考書で、その中の名物コーナー「街のアイビーリーガース」…街角ファッションチェックのコーナー…が住んでいる街に来た時には、思いっきり全身アイビールックで街を闊歩したりしました(^^;;
今考えると、かなり恥ずかしい想い出です。

自分は別にお洒落ではないし、特別ファッションにこだわりも持ってはいませんが、今でも好きな服はその路線…トラッド…になります。さすがに「まんま」な格好はしていませんが。
雑誌に載ろうと意気込む事はないですが(^^)歳のせいにせず、ちょっとはお洒落しなきゃダメですね。
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最近サボり気味なので、今日は久し振りにもう一つ。

子どもの頃、狭い官舎住まいだったので、居間に布団を敷いて寝ていました。
布団に入ってから毎晩のように父が「○○映画劇場」「□□ロードショー」などと言う番組を観るものですから、必然的に私も小さい頃から映画好きになり、高校生になるとリバイバル館で月に3〜4本の映画を観ていました。
当時は「テアトルポー」「テアトルポニー」とか結構リバイバル館があって、1〜2ヶ月待てば高校生は300円位で話題作も観れたものでした。

時は流れて大学生の頃、1982年だったか…旭川ターミナルホテルと言うホテルの開業記念イベントで、映画評論家の講演と映画鑑賞の夕べと言うのがありました。
3夜連続で行われ呼ばれた評論家は、北海道出身の何とか言う人と(^^;;小森のおばちゃま、そして淀川長治さんでした。
私は運良く抽選で淀川さんの日のチケットをゲット。
淀川さんが選んだ映画は「グッバイガール」、リチャード・ドレイファス主演のロマンティックコメディ。
映画はとても面白かったですが、それより何より淀川さんのお話しが楽しくて、ご自分でも仰っていましたが、本当に映画と結婚したような人に感じました。

講演の中で「私、まだ開業前のこのホテルの○○○号室に泊まらせてもらってます。映画観終わったら遊びに来てください。」と仰っていました。
今考えるとすごいなぁと思うのですが、私はそれを真に受けて本当にその日夜中にホテルの部屋を訪ねちゃいました。
突然の訪問者を、150cmもない位のちいさな淀川さんは笑顔で迎えてくれました。

それから数時間、いろんな事をお話しさせてもらいました。一緒に写真を撮り、サインを頂き…気付いたら空は白々としていました(^^)
頂いた色紙には「春夏秋冬、すべて美し」と書かれていました。
始終全く偉ぶる事もなく、本当に優しい素敵な方でした。
その後、何年間か手紙のやり取りもさせて頂いたのですが、横浜のご自宅より都内のホテルにいらっしゃる事が多くなった頃から疎遠になり、晩年はお話しする事ができなかったのが悔まれます。

数年前の訃報をお聞きした時は、懐かしさに涙が込み上げてきたのを思い出します。
最近は映画館で映画を観る事もめっきり少なくなり、もっぱらDVDばかりですが、今でも“映画”と聞くと「銀幕」の素晴らしさを延々と語ってくれた淀川さんを思い出さない時はありません。
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先日、俳優の仲谷昇さんが亡くなりました。
仲谷昇さんと言えば何と言っても、月曜日の深夜フジテレビ系で放映されていた「カノッサの屈辱」の教授役です。

「カノッサの屈辱」は深夜帯だったにもかかわらず、かなり有名な番組でした。
当時(1990年)のあらゆるトレンドを歴史上の出来事になぞらえパロディ化し分析、解説した番組で、途中、実力テストや集中講義なども織り交ぜ、当時としては非常にユニークな作りの番組でした。

この「カノッサの屈辱」の制作をしていたのが『ホイチョイプロダクション』です。
『ホイチョイプロダクション』…ご存知でしょうか?
「カノッサ…」の数年前、映画「私をスキーに連れてって」や「彼女が水着にきがえたら」を作った人達です。
ビッグコミックスピリッツに「気まぐれコンセプト」と言う連載を持っていましたが、今も連載しているのでしょうか…
『ホイチョイ…』は、このビッグコミックスピリッツに昔「いたずらの天才の息子」と言う連載を持っていた時期がありました。
元ネタは、アメリカのA.スミスと言う人が書いた「いたずらの天才」と言う本です。
(この本、この連載の数年前に兄が購入していました)
笑って済ませられる、人に害を与えないプラティカルジョーク集なのですが、これの日本版を作ろうと言う企画。
読者からいたずらを募集し、紙面で紹介された中でも優秀ないたずら(?)の投稿者を「いたずらの天才の息子・殿堂入り」と称し、レリーフ(の絵)を毎週掲載していました。
実は私、この殿堂入り(最終的には10数名いたでしょうか)第2号でした(^^)
第4号まで選ばれた時には、1ページさいて「いたずらの天才四天王」特集まで組んでくれました、なはは。

毎号、送った写真から作ったレリーフ(の絵)を載せて頂き、「私はいたずらの天才です」と書かれたバッジを送ってもらったっけ。
以来数年間、代表の馬場康夫さんから毎年年賀状も頂いてました。
(ちなみに馬場康夫さんは、安倍総理と成蹊学園の同期らしい)
その年賀状に「今年は念願の映画を作ります!」と書いてあった事があり、その年に公開されたのが「私をスキーに連れてって」でした。
原田知世がヒロインを演じ、ユーミンの曲がちりばめられた楽しい作品でした。
高橋ひとみが劇中、セリカ GT-FOURに乗り込み、路面を触って「凍ってるね」と言いながら、ストップウォッチを押すシーンが好きで、自分もKP61スターレットにストップウォッチをぶら下げていたものでした(^^;;
なんてミーハー!

彼らの笑いはいつも私のツボにハマるのです。
単行本『見栄講座』 『OTV』 『極楽スキー』…どれも大笑いで読みました。
残念ながら友人に貸したまま戻って来ず今は手元にありませんが。

最近は以前のように精力的な活動はしていないのでしょうか。
また世の中の(ごく一部の人間を)笑い驚かせる事をして欲しいです。
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今日は休みなので奮発して、引き続き『謎の円盤UFO』のお話し。
(ユーフォーではなく、ユーエフオーと発音して下さい)

イギリスの映像プロデューサー「ジェリー・アンダーソン」が作った、有名な近未来ドラマ。
ちなみに「ジェリー・アンダーソン」と言えば、何と言っても『サンダーバード』ですね。
こっちのお話しも始めると止まらないので、またの機会に(^^)

さてこの番組、最初の放映は、かのお化け番組『8時だョ!全員集合』の裏番組でした。
ご多分に漏れず、私も『8時だョ!全員集合』が見たかったのですが、5歳上の兄には『8時だョ!全員集合』は子どもすぎたらしく、兄は『謎の円盤UFO』が見たい。
仕方なく、一週おきに代わる代わる見ていた記憶があります。
再放送時には私の方が食い入るように見ていましたが。

矢島正明さんのオープニングナレーションからカッコ良かった。
「1980年。すでに人類は地球防衛組織SHADOを結成していた。SHADOの本部はイギリスのとある映画会社の地下深く秘密裏につくられ、沈着冷静なストレイカー最高司令官のもと日夜謎の円盤UFOに敢然と挑戦していた。…」
沈着冷静…と聞くと、今でも条件反射のように「ストレイカー最高司令官」と言ってしまいます。

オープニングナレーションは続いて各キャラクターの説明がありました。
“シド”“スカイダイバー”“スカイワン”“ムーンベース”“インターセプター”…

インターセプターのプラモデルはサンダーバード2号のプラモデルと並び、宝物でした。
ただこのインターセプター…ミサイルが先端に付いた一発しか無く、これを発射しちゃうと役立たずになっちゃって、子供心に「効率が悪い迎撃機だなぁ」と思っていました(^^)
でもどれも本当にカッコ良かった…
「サンダーバード」も手がけたバリー・グレイの音楽もすごく格好良かったですね。

このドラマ、近未来的な道具やギミック満載でしたが、何が一番近未来的だったかと言うと、スカイダイバーと言う潜水艦の乗務員のユニフォーム。
あれが私には一番でした。
あのメッシュのユニフォームを見た時の衝撃は忘れません(^^;;
(見た事無い人には分からないですよね、すみません)

それにしてもシチュエイションは1980年…今から四半世紀も前なんですね。
なのに今でも、イギリスのどこかの映画会社の地下には「SHADO」があったりして…と思いを巡らす私がいます。
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先日夜中にテレビをつけたら、懐かしいドラマ『奥さまは魔女』をやっていました。

「奥様の名前はサマンサ、旦那様の名前はダーリン。ごく普通の二人は、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でも、ただひとつ違っていたのは、奥様は魔女だったのです」
と言う、中村正さんのオープニングナレーションで始まる、有名なシチュエーション・コメディ。

まだ小さかった私にこのドラマは「アメリカはすごい!」と思わせるに充分でした。
芝一面の前庭、家には土足で入る、広い(台所ぢゃなく)キッチン、でかい冷蔵庫、でかい洗濯洗剤、でかい牛乳、ディスポーザー…どれもこれも見た事がないものばかりでした。
見直してみると、家がある通りの姿は、現在人気の『デスパレートな妻たち』のウィステリア通りとさほど変わらない…40年も前なのにね。
それに、あの笑い声。
「ドラマの収録を一般に公開しているんだ」と信じ込んでいたのは私だけ?

そうそう、当時から不思議に思っていたのが、旦那さんの名前がダーリンだったこと。
変な名前だと思っていましたが、実際は“Darling”ではなく“Darrin(ダレン)”だったんですね、最近知りました。
旦那さんの名前が「ダーリン」じゃ、「バカボン」のパパの名前が「バカボンのパパ」みたいなもんですもんね。

そのダーリンが勤める会社の名前は「マクマン&テイト」社。
この「○○&△△」社と言うネーミングにもアメリカを感じたものです。
共同経営の二人の名前を使っただけ…今考えると非常に短絡的と言うか、芸が無いですけどね(^^;;
ちなみに同様の名前でもっとも有名なのは「プロクター&ギャンブル」でしょう。
プリングルスやジョイ、ウェラ、マックスファクター、ヴィダルサスーン…そう「P&G」です。
で、私は「P&G」と聞く度に「マクマン&テイト」を思い出しちゃうのです(^^)

昔のテレビドラマの事を書いていたら、他にもいろいろ思い出してきました。
次は…「謎の円盤UFO」にしようっと。
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