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失われた10年

↓のお話しの続きを。

25歳からの10数年、何をしていたか…
音楽も聴かず本も読まず、映画も観なければTVもそれほど…ドラマなんて全く見ていなかったです。
おしゃれに気を遣う事もしなかったし、本当にただただ時間だけが過ぎて行った10年間。
していた事はと言うと…仕事だけ。

25歳でとある写真屋に入り、プロカメラマンとしてのキャリアをスタートさせましたが、その会社にいた10年間は、今では考えられないくらい仕事だけしてました。
その写真屋は入社当時8名程のカメラマンがいましたが、半分は年下。
十代の彼らに教えを乞いながらの仕事は、正直最初キツいものがありましたが、幸い仲良くしてくれるばかりか皆慕ってくれたので助かりました。
ただ、いつまでも彼らの使い走りはしたくなかったので、入社3年間はがむしゃらに頑張って技術の習得に勤めました。
それが認められたのか、その頃には主任カメラマンになれました。
当時の好景気の後押しもあり会社の業績は右肩上がり、カメラマンもどんどん増え退社時は20数名。

主任カメラマンから20数名のカメラマンのチーフをやる頃には、毎日朝8時から早い日で夜10時まで仕事漬け。
繁忙期は連日夜中の2〜3時まで残業。(しかも残業手当は一切無し!)
大晦日だけは5時には帰れましたが、翌元旦はいつものように朝8時に出社。
年に2〜3回の2連休以外に連休はなく、旅行は仕事の出張だけ(それはそれで楽しかったです、毎年海外に行ってましたしね)
週休でしたがひと月に1〜2回の休日出勤がありましたので、週の労働時間は100時間超えも珍しくない。
残業は100〜150時間/月。
10年間で有休は本当に一日も取った事はなく、それどころか皆勤賞が5回。
最後は休日出勤の振替さえ40日以上も捨てて辞めました。

エキサイトに<労災認定>女性研修医の自殺は「過労」と言う記事が出ています。
「残業1カ月で100時間を超えることがあり、労働時間は週87時間」
ん〜、皆勤賞なんて狙わず倒れてたら労災になったかも(^^;;
ただ、冗談ではなく何度となく逃げ出したい衝動には駆られました。
幸か不幸か、10年の間病気らしい病気は全くしなかったので、逃げ出す事もなく通い続けましたが。

今でも思い出すだけでちょっと具合が悪くなります…と言うか、不思議と思い出せない事が多いかな。
当時の同僚、後輩カメラマン達は(非常に出入りは多かったですが)良い仲間も多かったですが、今でもカメラマンをしている人が少ないのは残念。
プロカメラマンと言う仕事の魅力を伝えきれなかったという事ですもんね。
上司や経営者には、正直に言うとかなり恨みもあるけれど、「会社」自体には感謝しています。
今身に付いている技術や経験のほとんどは、その「会社」が与えてくれたものですから。

こんな生活でしたから、とても音楽…ましてやギターなど弾く余裕はなかったです。
ん〜悔しいなぁ…

あっ、でもあの会社にいて良かった事、もう一つだけありました。
その会社にバイトに来た可愛い女子大生と出逢えました。
もちろんその時は、まさか数年後に結婚する事になるとは思ってもいませんでしたが…
by aki3man | 2007-04-17 15:42 | 日常
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